つる舞う形の何とやら

群馬在住者の記憶、アレやコレ

上毛かるたの地味な魅力を思う

群馬で育った者なら8割以上が知っているであろう「上毛かるた」。
私も小さい頃からこのかるたで遊んで育ち、知らず知らずのうちに洗練された群馬県民へと成長した。なので他のかるた(百人一首やいろはかるたなど)の知識はやや薄い。
意外とこの上毛かるたの句は大人になっても頭に残っており、子どもの頃の情報の吸収力はあなどれないと思った。

そんな上毛かるた。県外に仕事へ行った際にちょっと役に立つ時がある。
群馬出身の人と地味に盛り上がる話のネタになるのだ。
100%そうな訳ではないが、群馬育ちの人の結構多くが上毛かるたの句を覚えている。
そうなると始まりがちなのが「上毛かるたの句当て合戦」。
「『あ』は何だか覚えてますか?」→「浅間のいたずら 鬼押出し!」
「『か』は?」→「関東と信越つなぐ 高崎市!」
「『さ』」→「三波石と共に名高い 冬桜!」
のように、片方が投げかけ、片方が句を完成させる謎の儀式が始まる。ちょっと現代の勘合貿易感がある。
私は群馬で育った者同士の合言葉のような感覚でいたのだが、他県の人からすると結構不思議な光景らしい。以前、静岡出身の人に「なんか怖い」と言われた。

そして、「あ」~「わ」まで全44札ある上毛かるただが、全ての札の意味を理解している群馬県民は意外と少ないと思う。中山秀征さんくらいかもしれない。
私は以前、上毛かるたの札全ての縁の地巡りをしようと試みたが、三分の一に達成したかしてないかくらいで断念してしまった。ズボラな人間って嫌だなぁ。
にしても、結構な群馬県民が句のほとんど暗記してるのってすごいよね。札の意味が分かんなくてもさ。

あと、上毛かるたの「ち」の札は「力あわせる200万」なんだよね。
200万は人口数のこと。つまりこの札は「群馬県民200万人で力を合わせて頑張るぞ~!」的な意味だと思う。
けど、最近私は気づいてしまった。
群馬県の人口はとっくの前に200万人を割っていたことを…。(2015年の段階で197万人らしい、なので今はもっと少ない)
まぁアバウトに計算したら約200万人だけどね。
私の世代は「力あわせる200万」だったけど、親に聞いたら昔は「160万」の時もあったらしい。
でも200万で覚えてきた世代の私としては、ぜひ200万のままをキープして頂きたいと思うところ。どこも人口減が嘆かれてて大変だけどね。



文章の締めくくりがよく分からなくなってきたので、私が一番好きな札をご紹介。
「『お』太田金山 子育呑龍」
なんかね、鳥の描き方が好き。あとアングル。
普通、お寺を描くとなったら、遠巻きにして外観が分かる構図にしがちでしょ?
でもこの札はあえて屋根のてっぺんがドーンとどアップ。そこに鳩?がバァーンよ。
すごい!トリッキー!鳥だけに。

ちなみに「『つ』つる舞う形の群馬県」は、四番目くらいに好きかな。
群馬県の形、鶴が舞ってる形に見えるよ。私は群馬育ちだからね。


明日も仕事だ。
はぁー、寝よ寝よ

方言について、語ってみんべ

突然だけども、私はご当地限定ものに弱い。
方言もそのご当地限定ものの一種だと考えている。
たまに群馬県内で他の地域の方言や訛りを持つ人と出くわすと
「ご当地限定ものが群馬に来てるー!ラッキー!!」となる。
ほんとたまにしか出くわさないけど。なぜか得をした気分になる。


今は仕事の関係で埼玉へ行く機会が多い。その時にちょっとしたことで自分の方言を知れるイベントが発生することがある。
この間も仕事中に、私がテーブルの上にある資料を誤って床に散らばらせてしまった時に「すみません、肘にかさっちゃいました」と言ったら、会社の人達に「なにそれ?」と言われた。
最初なにそれ?と言われたこっちがなにそれな状況だったけど、そのうちパートさんの一人が「それって群馬の方言でしょ」と言ってそこで初めて自分が方言を使っていることを知った。地味に嬉しかった。
(家に帰って調べてみたら「かさる」はまさしく群馬の方言であった。標準語にすると「触れる」や「かする」である)

私は東京にいた時にまわりの友人たちから「チョコバニラ(私)って方言とか訛りがないよね」とよく言われていたので、てっきり自分はそういうのとは無縁な人間だと思っていた。
そんなこんなで、この小さな発見が地味に嬉しくて、家に帰って家族に話した。
みんな割と「ふーん」というリアクションだった。冷たいね。



そういえば、仕事で熊谷に行く機会があり。その時に近くを歩いていた女子高生たちが会話の中で「あいつマジなんなん!」と言っていたのを聞いた。
「なんなん!」とは、「なんなの!」という意味。まぁ分かりやすい。
「なんなん」はよく群馬でも使う学生が多い。他にも「そうなん?(そうなの)」とか。

つまり、あの女子高生は「あいつマジなんなの!」を上州テイストの方言でしゃべっていたのである。なんか勝手に親近感湧いちゃう、ごめん女子高生。熊谷って群馬の片田舎よりは断然お街なところなのにね。
でもさ、学生が方言使ってるのって何か良いよね。


しかし、今日本では現在進行系で様々な地域の方言が消滅しつつあるようで。
関西弁とかなんかは、最近は標準語がたくさん入り混じってきて、若い人たちはマイルドな訛りになってきていると噂で聞いた。
今の世の中はものすごく便利になってきてるし、都会に人が集中してきてるし、ネットで色んな情報をみんなで簡単に共有できるようになってる。
そんな中で、方言や訛りが生き残るにはちょっと難しい時代になってきているのかもしれない。何だかすごく切ない。
せめて方言や訛り全開の人に対して、尊敬の念を持てる世の中であって欲しい。伝統を受け継ぎし者たちだからね。


なんかちょっとしんみりしちゃったけど、明日も仕事だから
はぁーもう寝んべ

北関東と東京のしっとり加減の違いを思う

私は現在、仕事で埼玉県(北関東寄り)に行く機会が多い。今日も行ってきた。
今日は埼玉も一日中しっとりとした天気であったが、こんなしっとりした日は何故か東京に住んでいた頃を思い出す。

私は渋谷(でも場所的にほぼ新宿)にちょこっとだけ住んでいたのだが
その頃は毎日と言っていいほど無意味に散歩に出かけていた。そのせいで次の日の学校で提出するはずの課題が仕上がらなかったりしていた。

初台駅から笹塚駅まで辺りがお気に入りの散歩コースで、mp3プレーヤーで音楽を聞きながらよく歩いていた。
その時によく聞いていた曲は今でも聞くと当時の散歩を思い出して何だか楽しく少し切なくなる。

あの頃は東京にあるものがみんなハイセンスに見えていた。今も割とそうだけど。
壁に書かれてる妙に上手い落書きとか、横断歩道周辺に貼ってある謎のシールとか、選挙ポスターの人物の目の所に画鋲が刺してあるのとか。それぞれ何か選ばれし者みたいなすごい人達がこっそりと爪痕を残しているみたいな感じに見えて、痺れた。そしてそれを発見した私も、何かついでに選ばれし者になった、みたいな。よく分かんないけど。
群馬の片田舎から急に都心に出たのがいけなかったのかなぁ。

そんで、散歩から帰ってくると肌が何だかしっとりべったりとしていた。
散歩の後だから汗だとも思うけど、田舎にいたときのしっとりべったり感とはまた違った種類のそれ。
小学3年生くらいの時に担任の先生が「東京はね、外を少し歩いただけで鼻をかむと真っ黒になるの。そのくらい空気が汚れてるんだよ。」と言っていたけど、私は数年間住んでみてそんな経験は一切なかった。先生の時とは時代が違ったのかもだけど。

東京に住んでいて、特にしっとりべったり感が強かったのは地下鉄に乗った後のような気がした。東京の色んな人々の世情が私をしっとりべったりさせたのかもしれない。すごいよなー、東京って。
そんなしっとりべったり感を味わっている間は「あー今私って東京の女だわ」と思えた。群馬生まれ群馬育ちだけど。


話はめちゃくちゃ戻るけど、やっぱり北関東と東京の曇りの日は何かが違うと思う。
東京のほうがべったり感はあったけど、なんか達成感というか、満足感があった。
北関東の方はしっとりしても少し爽やか。だけど、「はい、これでおしまい」な感じ。
自分で今書いてても意味不明。でもそんな感じ。
もっと年齢を重ねたら理由が分かるのかもしれない。
まぁ分かんないかもしれないけど。




早く晴れて欲しいなー
でも暑いのも嫌なんだよなー

何やら描き始めのこと

1日1記事を目安にしているけど、とりあえず今日は書き初めの日なので、ちょっと触りの部分だけ書いておこうと思う。

私は生まれも育ちも群馬であり、高校を卒業して進学の為に東京にちょこっといた経歴がある程度。なのでほぼほぼずっと群馬県で過ごしている。
このブログを書こうと思ったキッカケは前の記事にも書いたように10代の頃の日記が意外と面白かったというのが一つと、もう一つの理由は北海道民の友達に
「チョコバニラ(私)は群馬のこと話してる時、めっちゃ楽しそうだよ。」
と言われたから、ちょっとその気になってしまったのである。ありがとう、道民。

今思えば、東京にいた時期があったからこそ群馬のことを客観的に見ることが出来るのではないかと思う。まぁJRバスで2時間ちょっとの距離だけど。

県外の話になるけど、北海道、いいとこだよね。去年の11月頃に上記の友人家に遊びに行ったんだけど。電車の外の風景が途中で渋川市に似てるなーと思った。雰囲気が。気のせいかもだけど。
この旅行の話は長くなりそうだから、また違う機会に。

今日は七夕だったみたいだけど、ずっと雨だったね。
ドンマイ織姫と彦星。また来年があるよ。

命短し、綴れよ色々と

この度、ブログを久しぶりに始めようと試みた。

訴えたいことがあるわけではないけど、日々の記憶をどこかに書き記しておかなければと思ったからである。書き残すことがある程、大した人間じゃないけど。

この間、自分が10代の頃に書いていたブログをふと見返して、なかなか面白かった。
その時に書き残しておかないと忘れてしまうことって結構あるんだなと思った。
そんなキッカケで始めるだけのブログである。

私はこのブログでは年齢を非公開にするつもりなので、年齢は載せないけど
実は30歳になるまで、あと残り1年ちょっとしかない。年齢は非公開だけど、あと1年ちょっとしかない!
なので、残りの1年ちょっとの間に、20代であったことをダラダラと書き残してみることにする。私は何歳まで生きるか分かんないけど、将来このブログを見返して「今とあんま変わんないじゃん」をしたいのである。
まぁ、それまでにはてなブログさんのサービスが終了したらそれまでなんだけど。それはそれで良いかもしれない。でも、なるべく終わんないでくださいはてなさん。

1年とちょっとのリミットなので、期間的にはざっくりと365日+ちょっと。
ということは、1日に1記事を載せる計算で365記事以上。けっこうある。
けど私のことだから、どうなるか分かんないけど。
途中で更新しなくなったら、気が向かなくなったとか深刻な身バレしたとかそんな感じ
の理由だと思う。出来るところまで頑張りたいけどね。

そして、あいかわらず学がないので誤字のオンパレードな上に、書いてる文章は終始不格好だと思う。今も首を少しかしげながら文章を書いている。10代から全く成長していない。

そんな感じで始まります。
はい、スタートー!

あいかわらず締めくくりの文章がよく分からない。